20161027
たとえばコンタクトの洗浄とか家の鍵を閉めるだとか そういった日々の繰り返し動作時において、思考の比重が大きくなりルーティンへの意識がゼロになることが多い。わたし右の接眼面洗いましたっけ
— 優游 (@yuuyuubuji) 2016年10月26日
この事案が非常に多い。
意識を集中させないでぼんやりしているの自分がわるいんですが。
それにしても、目は確実にその動作の様子を見ているはずなのに、一切視覚情報としての記憶が残っていないというのは逆にすごい。寧ろ視覚情報だけでなく、触覚情報やなんかの記憶もないことだし。
脳は覚醒時、動いている限り常に記憶し続けるものだと思っていたけれど、意識が向いていなければそれは記憶されないということ?
記憶を司るのは脳だと思っていましたが、この事象から鑑みるにただ単純に脳というのではなく、
記憶されるかされないかには意識の指向・不指向がスイッチとなってくるとでもいうのだろうか。
当たり前な気もするし、自分の中での新たな発見であるような気もする。
そもそも意識とは?
脳の中に生じる何らかなのか、あるいは。
そこまでいくと、心の在り処の話になってくるのかもしれない。