20170910

 

休日でもいまいちリフレッシュしきれない時は日常から離れてみるのがいいのだな、と改めて感じたりした。

いくら休みとはいえ、いつもと変わらない場所にいたのではついつい平日の延長線と化してしまうことが起こる。ふと平日のことを思い出してしまったり。

 

 休日は平日の延長線上にあって延長線ではない。平日と休日とを分離して管理することがわたしの中で求められている。

休日から平日への過渡期は辛いわけですが、それが今。

 

20170909

 

五十音テーマ回「い」

 

「囲炉裏で焼く岩魚」

初めて食べたんですがこれが美味しかった。蒸してるようにふかふかで、それでいて外はしんなり。

骨も気にならぬほどに食べ進めました。丸ごと食べられる。

 

聞けば、1時間も焼くそうで。手間をかけただけ、美味しさは増すのかな、などと思わずにはいられませんでした。

なかなか食べられない贅沢。便利さには代えられないものがある。

 

20170908

 

美味しいものを食べてお酒を飲んで、露天風呂に浸かってげらげら笑うのは幸せの極み。まさに至福。

これは何度でも言う。

 

そしてそれを昼間からできたなら素晴らしいと思う。これはささやかな夢である。

温泉に泊まらずとも、お風呂の窓を少し開けて入るだけで露天気分を味わうことができることを知っているので、割に叶えられる夢ではあるのだけど、これがなかなか。

時間に余裕がなければ、気持ちもゆったりしづらいところがある。開放的な気持ちになるには時間があることと、いつもの日常を離れた非日常感がある必要性も考慮したい。

 

叶いそうで、これがなかなか叶えられない。願望としては、月に一度くらいの頻度でこうして心の底から至福に浸りたい。

 

 

20170906

 

タイトル、2017と打とうとして2014になることがここ最近度々ある。

その度2014か、と三年前に想いを馳せるも、だからといって感傷に浸るわけではないのだ。三年前ともなると完全に過去として切り離されるのかもしれない。

 

たとえ過去と現在、未来が地続きだったとしても、不可逆なそれらが戻ることはないのだし、過去はどんどん過ぎ去ってゆく。

 

20170904

 

気力を回復する術を探しているが、体を動かすことはまだ試せず仕舞い。

 

効果があるだろうことは何となく分かっているのに、それでも動けないのは、つまり極度のめんどくさがり屋でどうしようもないからである。

行動に移す気力さえない状態まで気力が落ちているので身を起こせないという、このどうしようもなさ。

 

まずは睡眠か?睡眠なのか?

あとはだるい朝にリポビタンDとか?

正解が分からないけれど、少なくとも寝落ちが精神的がっかりを引き起こすことは確かである。寝落ちは気力回復の敵である。