20170206
寒い日の空腹は体の芯から冷えてしまう。全身冷え切ってしまって、一つも温かいところが見当たらないような。
あまりに冷え込むと、生者なのかどうかすら怪しいような、そんな気までし始めてしまう。
ところがそこに食事(温かいもの)が入ると、体の芯に明かりが灯ったみたいにどこか奥の方に温かいものを感じて、生者であることを実感する…
なぁ。と、今日すっかり冷え込んだ体で寒い中を彷徨い続けてそう思いました。
寒い時ほど食事が大切。
栄おばあちゃんじゃないけれど、「いちばんいけないのはおなかがすいていることと、独りでいること」なんでしょうな。寒い時はなおさら。
20170204
今日中華料理店で食べた料理の正式名称が分からなくてずっと調べていたのですが、結局よく分からない。
検索した中ではブラビ飯と蝋腸飯が近いかな。それら二つを足して二で割ったような感じの料理でした。
ご飯に中華ソーセージ(ソーセージというよかサラミに近い)が載っていて、そこにラードと醤油ベースのタレをかけて食べる。お好みでネギやパクチーを入れるというもの。
ラードがかかってるのにしつこくなく、どこかあっさりさっぱりした風味で、いくらでもそのご飯だけで食べられそうな気さえしてくる、そんな料理。
どこか懐かしいような、でもそれが何か思い出せない、不思議な料理でした。
これはクセになったらまずいぞ。なにせ自分で再現しようにもできなかろうし、これまで一度たりとどこのお店でも見かけたことがない。
食べたければリピーターとなるしかないなんて、恐ろし素晴らしいな。
20170203
節分でした。
外出したはしたけれど、何しろ節分感のあるスーパーやコンビニには行かなかったものだから、あまり節分感を味わうことはできなかった。当然豆も撒いていない。
鬼は外福は内、とは口に出して心の中の豆を撒いたから、それで鬼も退治されてほしい。心の中の豆を撒いたのだから、心の中の鬼くらいは退治できるかもしれない。
5、6年ほど前でしょうか。
わたしの知らないだけでもっと前かもしれないが、それくらい前に恵方巻き文化が全国へと伝播したことで、豆撒きに加え「恵方に向かって無言で太巻きを食べきる」風習も根付いた。
斯くして2月3日は、普段の生活では使うことはないがデフォルトでスマートフォンに実装されている機能であるコンパスが役に立つ日となったのである。
20170131
月の変わり目ってこう、どうしてもその月へ追い縋りたくなる。やった、次の月だ!とはなかなかならない。
このことについて、前々から「まだ会ったことのない未来よりも今までを共に過ごしてきた過去の方が親密度が高い」説を何度となく唱えている気がする。考えが変わらない限り、これからも唱え続けていくんでしょう。
今日は世のブログというものを見ていましたが、普通ブログってこんな200字で中身のないことをつらつら述べるのでなく、一つのテーマを定めてもっとしっかり述べゆくものであったりするのですね。
だとしたら果たしてこれはブログなのか。ブログを名乗るのはおこがましいのではないか。
最早Twitterの拡張版と捉えた方が妥当なのかもしれない。
とはいえ、一度くらいはしっかり記事であるようなものを書いてみたいものです。