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20160422


Twitterや現実で、それとないことを呟いたり友人に話していたので幾人かには察せられてるかもしれませんが、

ここ最近、これまでで初めて、自分というものがぶれてしまっていたんですね。



今までにない決断を迫られている時期だというのが大きいのでしょうが、

そういう年代だから、というのもあるかもしれません。

少し前、身近にもそういう人がいましたし、年相応の悩みなのかも。



ここまで書いて、
年相応…悩み…そういや「若きウェルテルの悩み」ってあったよな、と思ったけど

あれはちょっと違いましたね。
読んだことなかったので今後読んでみたいところではあります。



話を戻して。

良い機会ではあるし、ここらでしっかり軸を立て直すのも良いな、と
そう前向きに捉えておりました。

まさかこのわたしが、と非常に愕然とはしましたけども、まぁ。





良い人に見られようとするのをやめたいのだ、とそう吐露することが多かったんです。最近。


それは良く見られることによって良い気分でいたいから、ではなくて。

ありのままを見せて幻滅されたくない、少しでもマシに思われていないと、という、どちらかというと負のエネルギー、でしょうか。

負のエネルギーというのはきっと辞書的な意味としては間違っているかもしれませんが、伝えたいニュアンスなのだとして汲み取ってください。


そう、その負のエネルギーから、なるべく良い人・期待に応える人でいたい、と常々生きていたわけです。



でもそれは、裏を返せば
素である「別に良い人じゃない自分」を隠し続けることに他ならなくて、

ありのままに生きることが出来ていない、ということになります。


とはいえ、常に良い人でいられたか?と訊かれたらわたしは

「いいえ、みんなにはそんな良い人間じゃないことくらいバレていたと思います」としか答えられません。

そんなに上手く隠して生きられるくらい、「別に良い人じゃない自分」は殺せるほど脆くはないから。

滲み出てしまっていたと思うんですよね。



確かに良い心がけなのかもしれません。

なるだけ良い人に見られようとするのは、向上心もなく悪い人でいるよかマシな筈ですから。

みんなが良い人に見られようとするから、社会もまだマシなものとして機能しているのかもしれません。



でも、

良い人に見られようと頑張る のと

良い人であろうと頑張る のとでは

やっぱりその方向は大きく違ってくるように思います。

後者だったら全然構いません。
向上心のある者として、Kも褒めてくれるかもしれない。


でも前者は、結局のところ人の目を気にするばかりで、向上心はないに等しい。

「向上心のない者は馬鹿だ。」





あれ?本当は、「良い人に見られようとするのをやめたいと願う自分が一番、自らに良い人でいることを強いていた」という話をするつもりだったんだがなぁ。


ちょっと違う方向へいってしまった。

でもその話をしようとすると、ねじれてしまうわけか。


良い人であろうとする≠良い人に見られようとする

と言ってしまったからな。


参ったなぁ。ねじれを認識した上で、次その話ができるかしら。