20161120

 

「もしも」はないのが歴史なら、「もしも」がない人生もまた同じ。

 

然るに、人生もある種小さな歴史と言えるのではないだろうか。

などということを最近考えていました。あまり深いことは考えていません。

 

 

 

「もしあの時こうだったら、今どうだったろう」という類のことを一切考えてこなかったので、そういった思考の強制に際しても全然思いつかない。

 

考えたってキリがないから考えないようになったというよりかは、

想像が飛躍する一方に現実が辛くなるばかりであることを苦いほど知ったからなのかもしれない。

 

 

「もしも」を考えて、それでいて今現在と比べずに気分良くなれるのなら、

「もしも」を考えるのはきっとわるいことではない。

 

比較して落ち込んだ途端に「もしも」が毒となるのかもしれない。