20160708
こう、惰性的に生きるのではなくて、
主体的に生を生きたいわけよ。
自分の意思とは無関係に生まれて、
成長するとともに何となく生きて、
自我が確立していくと共になあなあで生活を続けて、
そしてそのまま死んでゆくの?
それが普通なのかもしれないけれど、
なんだかそれは、ただ流されて生きているだけに思えてしまって。
それで命を消費してしまうのは、どこか勿体無いような、そんな気がしてしまう。
命はあって当たり前ではない。
一つの命に一つずつ、何か成すべきことがある、というのは、もしかしたらそれは人々の、人生に意味を認めたいが為の言にすぎないかもしれない。
何か成すべきことがあるわけではなくても、
どうせこの世に生まれたなら、せいぜい足掻いて、足掻ききって、生を全うした方が、生も存在しがいがあるのではないか。
毎日のそれぞれを蔑ろにせず、
一日一日を自らの手で掴み取って、
「今日も無事、生ききったな」と思えるような、そんな生き方がしたい。
充実した日々、とは少し違う。
いつ終わっても後悔の残らない日々、と言うのか。
常住死身。
朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。
口で言うのは簡単だけど、
無意識のうちに意識させるのは難しい。