20160530


なんだか、この年になってようやく、親と対等に話せるようになったような気がする。なんてことを、昨夜ふと考えていました。

対等って言っても、決して立場の話とかではなく。
一人の人間として、一対一の人間同士として話せるようになったというか。


それはこの年になったから、なのかもしれないですね。
とはいえ、そんなに年をとっているわけでもありませんが。


ただ、感覚的にそう思っただけなので、如何とも言い難いです。



親に限らず、家族、
もしかしたら家族に限った話ではなく、他の誰か(多くは年が離れた人かもしれない)と、
対等に話せるようになるにはある程度の経年が必要だったりするのかもしれませんね。

友人などは年が近いことが多いので、その必要がないとか。


必要な経年は全く相手によるところが大きい、というのはもう一方の親を思い浮かべて思いました。

そのもう片親とは、まだまだ対等には渡り合えそうにありません。
子としてコテンパンにされて、縮こまっている他ない。


いつか、対等に渡り合える日が来るのでしょうか。

もしそんな日が来ることがあれば、
ようやく肩を並べられた嬉しさなんかよりも
同じ目線に立ってしまうことで追い続けた背中が小さくなったように錯覚してしまう悲しさが勝りそうです。


親と子とはいえ、時が経てば一人の人間対人間ですからね。

今までそんなことを考える由もなかったけれど、だんだんとそんなことにも気付くようになりました。
少しは成長しているのでしょうか。



何しろ弱輩の身ですので、こういった見当違いの了見はどうぞお許しくださいませ。