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20160526


ここ数日、電車に乗る機会がある度に山本周五郎の「日日平安」という本を読んでいます。

日日平安 (新潮文庫)

日日平安 (新潮文庫)



その中の一編、「しじみ河岸」という話がとても考えさせられるものでして、
なんだかこう、心にずしんときたので、
ちょっと言及させていただこうかな、と思います。


ちなみに今日は書き口調がやけに丁寧かもしれません。ここまで書いてて自分でそのように思いました。
何分、書き口調がリアルに引っ張られるものですから、ご容赦願います。

よくよく考えたら、今更こんなこと言わなくとも毎回書く度、
やたら話し口調だったり馬鹿丁寧だったりしていますね。


そんなことはさておき。





この「しじみ河岸」という話、検索してみたらドラマ化されているんですね。

そのあらすじを引用させていただきます。
(役者の方の名前やドラマ版と原作とで相違している部分などはカット・改変させていただきました。これでは引用とは言えませんね。)

深川の貧しい長屋で、寝たきりの父・勝次と白痴の弟・直次郎を養う器量良しの娘・お絹が、同じ長屋の卯之吉殺しで捕まる。吟味与力・高木新左衛門は、お絹の自供を受け、お絹が下手人だと断定。しかし、牢でお絹を見た新参者の吟味与力・花房律之助は異議を唱え、再吟味を始める。長屋界隈や現場となったしじみ河岸で聞き込みに回るが、皆刺々しい雰囲気で何も語らない。正しい裁きを望む律之助は、詮議所でお絹に真相を聞き出そうとするが、お絹は自分が下手人で死罪も受け入れると言い張る。貧苦な環境が関係していると睨んだ律之助は、卯之吉殺し申し渡しの前日にお絹と対峙し、勝次と直次郎が長屋を追い出されることになったと告げ、最後の賭けに出るが…。


この結末がまぁ、主人公の律之助同様、我々読み手も考え込んでしまうものと言いますか。

貧しさだとか、幸せだとか、
そういったものの難しさを改めて突きつけられる、と言いましょうか。


この話は江戸時代を題材としたものだけれど、
現代も、時代は変われどそこに生きる人々は変わっていないわけで。

確かに生活水準は昔に比べて上がったかもしれませんが、その世相は案外、昔とそう相違なかったりするのかもしれません。


だからこそ、今の時代でも考えさせられるところであり、
寧ろ、高齢化社会が進むにつれて以前よりも「介護疲れ」の話がそこかしこで聞かれるようになったこの現代だからこそ、心にくるものがあるのかもしれません。


あまり結末の詳細に触れていないので、
読んでいないと何が何だか、といった感がありますが、

この話は、みんなで読んで、そしてみんなで考えさせられたいような、そんな話であるように思いました。