20160522
ホントに一瞬だったんだ。今だから言うけど、君のこととか全然考えてなかった。いつも通り接したつもりだったんだけど、もしかしてそうやっていつもストレスかけてたのかな。小さな積み重ねで今、僕らはこうしてすれ違ってしまったのかもしれない… #コンタクト割れました
— 優游 (@yuuyuubuji) 2016年5月21日
確かに最近、ちょっとしたことですぐどっかいっちゃったり、すれ違いが続いてたよね。いなくなる度にその有り難さを感じてた。でも、いなくなってからじゃ遅いんだよな。 #コンタクト割れました
— 優游 (@yuuyuubuji) 2016年5月21日
君がいないとだめなの…私、君がいないと目の前の道も見えない。一歩も前に進めないんだよ……? #コンタクト割れました
— 優游 (@yuuyuubuji) 2016年5月21日
昨夜遅く、こんな風にTwitterでさんざ
コンタクトレンズへの思いをポエムみたくしていましたが、
それというのも、
昨晩いつものように何気なくコンタクト洗っていたら割れまして。
"コンタクトを洗っている"という意識すらなく、ただただ無意識のうちにルーティンワークをこなしていたら。指先の感覚がいつもと違って。
それで…コンタクトは……。
そう、そうしてコンタクトが割れてしまったわけです。
なくして初めて分かる有り難み。
初めてコンタクトを付けた時のあの
目に映った眺望の何たる明瞭さを、
入浴時に物が判別できるあの喜びを、
今では当たり前と思って忘れてしまっていました。
誰のおかげで今物が見えてるのかといったら、それらはすべて、コンタクトのおかげなのに。初心忘るべからず…。
孝行のしたい時分に親はなし。
後悔先に立たず。
覆水盆に返らず。
そんな言葉をひしひしと再実感した日と相なりました。
つまるところ、生死もそうですなぁ。
常住死身。メメントモリ。死を想え、ですか。
分かってはいるけれど、
ついつい気が抜けて忘れてしまいがちになってしまうのは、わたしの鍛錬不足に他ならないのでしょうね。
常に意識して、心がけて生きていきたいと思ってはいるのですが
なかなかどうして、これが難しい。
まったく、不如意なものです。