20160429
昨日、それとなく読書回の話をしましたね。
早速、昨日から読んでて今日読み終えた本があるので、それについて触れようかなと思います。
神林長平さんの『ぼくらは都市を愛していた』という小説。SFです。
以前書店で目にしてから、ずっと読みたかった一冊。
なんだか最近やたらSFばかり読んでる気がする、と思ったけどそうでもなかった。
椎名的SF作品を二作ほど連続で読んだため、割合的には多くなっているというだけのことでした。
ネタバレをしたくはないので多くは言えませんが、SFとかミステリーって最後の方で大どんでん返しが来たりするじゃないですか。
読者側も、
「これは伏線で、実はこういうことじゃないかな?」とか、
「この言い方引っかかるな…こういう意味があるのでは」とか、
やたら勘繰りながら、予想しながら読んだりするじゃないですか。
その予想を裏切られたり、はたまた斜め上の回答を出されたりした時の
「っかぁーッ!一本取られましたわ!(片目を瞑りおでこを叩きながら)」
みたいな心地良さ、アレ良いですよね。
清々しい負け、みたいな。
いや、一つの確固たる世界を作り上げた作者相手に元から勝てる気などしませんが。
まったく触れないのも何なので、
なるべく平たくキーワードを述べると、
・自己・現実・意識・世界・トウキョウ
くらいですか。
あと世界線的なさむしんぐの交差。
感想とか述べるの不得意なんだって昨日言いましたよね。勘弁してくれ。
そういうの読みたい人は読書メーターとかそういうブログとか見ておくれ。
比べられても困る。
わたしが悲しくなるだけだからさ……
自己が認識している現実は果たして客観的に見ても現実なのか。現実とは?
ということについて考えさせられたりしました。
ここを疑い始めると、急にこれまでの普通の生き方ができなくなりそうになることを内在的に知っているので
久々にこういうことについて考えたような気がする。
思考を求められる作品、頭使わないと内容入ってこないけどそれ故に読み応えがあって良いですよね。
そんなことくらいしか言えない凡庸さを恥じるのは、多分ここでなくともいいだろう。
<自分用付箋>
51ページらへん。
あと55ページらへん。