20160413
「ノスタルジーに殺される」
駅前にはひっそりとした喫茶店が一軒。
確か入り口に実物大のレトリバーの置物があったっけな。
それからその裏側は寂れた商店街で、
よく通った本屋が一軒、と記憶を手繰るうち、
あぁ、行きたいな。現実で懐かしさに浸りたい。
なんて思えど、
そうしたところで少しでも昔との変わり様が見えればそれだけ苦しくなるだけだし、
故郷は夢に思うくらいでいいことは、
室生犀星の詩にある通りで、本当、その通りだと思う。
思い出は二度と現実になることはないのだし、心にしまった思い出の方がずっと綺麗だ。
だからこそ、現実が嫌になる度に、思い出に縋ったりなんかして。
風に流れる匂いやあの日と同じ空の色や、キーワードとなる物に思い出の切れ端を見つけては
思い出がフラッシュバックして、一瞬の上映が始まっては終わる。
その切れ端を掴んでこっちに引き寄せられたら、どんなにか楽になるのに。
思い出は時が経つほどに美化されて、
きらきら眩しくてぼやけて、そのためによくは見えないんだけど
その輝きを一瞬だけ見せられて、
空しくならない人がいますか。
あの時の感情は、それとまったく同じものはもう二度と起こり得ないんだと悟って、
それでも耐えがたい気持ちにならない人が、いますか。