20170811
絶対的信頼を寄せているソースカツ丼の名店で、甘さの強い味わいを口の中で思う存分噛みしめるなどした
— 優游 (@yuuyuubuji) 2017年8月11日
わたしが絶対的信頼を寄せている名店は現在・ソースカツ丼編 ・スーラータンメン編 の二つがあります
— 優游 (@yuuyuubuji) 2017年8月11日
この、絶対的信頼を寄せている名店、なかなか三つ目が現れない。
絶対的信頼というのは簡単に生まれるものでもない。
度重なる訪問の先で三つ目に出会えることを願いながら、明日もまた新たなお店を訪れようではありませんか。
20170808
そろそろ幸せについて本気出して考えてみたい。誰だってそれなりに人生を頑張っているんだなあ
— 優游 (@yuuyuubuji) 2017年8月8日
誰だってそれなりに人生を頑張ってる
時々はその「それなり」さえも誉めてほしい
こんな歌詞があるんですね。あるんですよ。
この世界に何億、累計でいけばそれこそ数えられないくらいの人が存在するわけですが、例外なくその一人ひとりが各々自分の人生を生きていて、そして自分の人生をぞんざいに扱っている人など、得てしていないのではないだろうか。
怒鳴り散らすクレーマーも、スーパーですれ違った人も、悪人も善人も、お金持ちも貧乏人も、みんなみんな自分の人生を頑張っているわけで。
頑張った結果が幸せとは限らないし、いやそれは勿論そうであってほしいけれども、頑張らずに人生を過ごしている人がいるとするなら、その人はとっくに死んでいるのではなかろうか。
今生きている時点で人生を頑張っているのだから。
死んでしまったら人生はおしまい。そこに幸せも不幸せもないし、あったとしてもそれは結果としての幸せ・不幸せだけ。
「人生頑張ってるね」なんて、そんな言葉をかけてくれる人はいない。
だって人生は頑張るのが当たり前だから。人生を頑張ること、即ち生きることだから。つまり例外なくみんな人生を頑張ってるから。
たとえ当たり前だとしても、それを続けていることは、大変偉いことなのではないかなあ、と思ったりするのです。
誰も誉めてくれないなら、わたしが誉めてあげよう。何様でもないけど。
自分で人生を生きている限り、みんな闇雲に足掻いていることに変わりはない。頑張って頑張って、そうして幸せになりたいと思っている。
自分にとっての幸せとは何なのか。
今日はそれを考えるには至らなかった。